今日も写真撮りに行ってきた。筑豊にある田川という街を少し
今日は小学校5年生まで過ごした地域に行ってきました。
これは私的なことで、こういうの動画にしてもなぁと思ってブログのみ。
自然の音など録ってますが、子供の頃は自然に触れるというと、やはり祖母の家くらいだったように思います。
なので、カエルの声聞きながら寝るというのは、今の土地に越してきてからです。
フクロウの声を初めて聴いたのも今の土地に来てですね。とても新鮮で感動しました。
フクロウはいろんな場面で登場するというイメージもありますね。
例えば映画で言うと、ハリーポッターのフクロウなんかもそうですし、The 4th Kind フォース・カインドというミラジョゴビッチ主演のホラー?サスペンス?映画でも白いフクロウがこちらを見ていた、毎晩、というように。
とても神秘的なイメージが付きまといます。
コロナも収まらないこの頃ですが、生きてますか?
オリンピックも開催の方向で動いておりますね、どうなるのでしょうか、ちょっと不安という方も多いと思います。
今住んでるところからそんなに遠くはありませんが、殆ど行くこともなくなって久しいので、たまには行ってみようと思い行ってみました。
上の写真、団地が立ち並んでますが、昔はここ、炭鉱の住宅(いわゆる炭住という長屋)があった場所で、そこで家族と暮らしていました。地名もそのまま「斜坑」(斜めに入って行く坑道)と言います。
立坑という、機械を使って真っすぐに下りて行く坑道もあったようです。
ここに長屋がずらーーーーっと並んでて、世界とはそういうものだと思っていました。筑豊は炭鉱で栄えた町ですが、炭住も消え、その頃の面影は殆ど残ってないように思えます。
しかし炭住というと暗いイメージですよね。なんか貧乏な人間が集まってるという感じです。
私が住んでた頃には既に炭鉱も閉鎖されて久しくて、同級生も多くいたし、そんなに暗いイメージは無かったと思います。気さくな人が多かったような、そんなイメージですね。
この坂を下って小学校に通ってましたね。その頃は「何と長い坂」に思ってたような記憶があります。
近所の子供たちと遊んでたドブ川。とても川と呼べるもんじゃなくて、ここでザリガニを取って遊んだ記憶があります。今思うと、ぞっとしますが・・・。
昭和ですね。
伊田駅と言いますが、先の炭住はこの駅の裏手にあって、子供の頃に聞こえてたのは列車の音、今思えばそうだったように感じます。
田川という土地はとても印象が悪く(暴力的とか暴力団関係が多いとか)て、その印象を変えようと頑張ってる土地だと思います。炭鉱で栄えてた時代は、ここで一旗揚げると日本中から人が入って来てた土地でもありますから、いろんな人種が入り乱れて活発だったと思われます。
なんとなく異色な感じがする土地ですね。
うちも祖母は熊本、阿蘇の出身ですが、故郷を捨てて、ここ筑豊の炭鉱で働いて家族を養ってたと聞いてます。
世界記憶遺産になったのか、なっていないのか定かではありませんが、町おこしの一環(たぶんそれしかないと思う)で石炭記念公園が出来ています。煙突の保存や当時の長屋が再現されていたりします。
炭坑節で歌われる煙突です。
コメント
コメントを投稿