山国川源流から耶馬渓まで行ってきました

 今日もお天気が良く、行楽日和な一日でしたね。

英彦山に源流があり、山国町(現在は中津市に吸収合併され廃止)の中心部を流れる川として知られています山国川源流から、大分県で紅葉の名所として知られる耶馬渓まで行ってみました。

動画の補足としてご覧いただけたらと思います。(といっても記事の方が先でこれから動画は編集作業ですが・・・)

耶馬渓と言っても、本耶馬渓、奥耶馬渓、裏耶馬渓と分かれていますが、今回は本耶馬渓にある「青の洞門」から「耶馬渓ダム」、深耶馬渓にある「一目八景」までの道のりです。

英彦山の紅葉も綺麗に色づいていました
ここまで車で20分くらい。山の中です。

途中眺めの良いところで撮ったものです。↓

途中にある橋が目を引いたので一枚。

青の洞門と耶馬渓ダムは動画撮ばかりで写真撮り忘れてしまってます。(動画はユーチューブへ)
案内板とごつごつした川の写真だけ。

いきさつを読むとその当時は大変だったろうと思います。
以下引用
禅海和尚の手彫りのトンネル
江戸時代、荒瀬井堰が造られたことによって山国川の水がせき止められ、樋田・青地区では川の水位が上がりました。そのため通行人は競秀峰の高い岩壁に作られ鉄の鎖を命綱にした大変危険な道を通っていました。
諸国巡礼の旅の途中に耶馬渓へ立ち寄った禅海和尚は、この危険な道で人馬が命を落とすのを見て心を痛め、享保20年(1735年)から自力で岩壁を掘り始めました。
禅海和尚は托鉢勧進によって資金を集め、雇った石工たちとともにノミと鎚だけで掘り続け、30年余り経った明和元年(1764)、全長342m(うちトンネル部分は144m)の洞門を完成させました。
寛延3年(1750)には第1期工事落成記念の大供養が行われ、以降は「人は4文、牛馬は8文」の通行料を徴収して工事の費用に充てており、日本初の有料道路とも言われています。

 ダムにて

この一枚だけ
ここから深耶馬渓の一目八景。
とても雰囲気があります。

昔の宿場町を思わせるような佇まいのお店が道路沿いに並んでいました。

ごつごつした岩肌と赤く色づいた木々が印象的。

車の往来が多いのでちょっと危険。

でもお店の感じはとても良いです。



お店の裏は綺麗な清流が流れてました。





モミジの赤はとても綺麗ですね。

カメラの充電が切れて動画が中途半端になりましたので、スマホに変えて動画を撮りましたが、どうなってるか、これから確認して編集作業に入りたいと思います。

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